キケロ『法律について』:自然法理論
Marcus Tullius Cicero, On the Laws, c. 52-43 B.C.
前回に続き、ローマの政治家・哲学者キケロの著作紹介です。
ローマは現代の法学にも大きな影響を与えているとされますが、そのローマで生きた政治家・哲学者キケロは、自然法という思想を持っていました。
1.自然法理論
キケロは、法律とは文書として書かれたものではなく、宇宙全体を支配する理性、すなわち神の意思であると述べます。元老院や民会の決議によって定められなくても、この宇宙全体に絶対的な倫理が存在しているというのです。
法律は人間の頭で考えられたものでもなく、国民のなんらかの決議でもなく、命令し禁止する知恵によって宇宙全体を支配する、何か永続的なものである。(第2巻第10章)
キケロは、立派な人が立派な行動をするのは、法律で決まっているから、あるいは悪いことをすると法律で罰せられるから、という理由であってはならないと説きます。そうではなく、立派なことそれ自体を追求することこそが徳であり、明文化された法律にかかわらず、高い倫理観を持たなければならないと述べるのです。
人が好き放題をしないのは、不名誉を恐れるためなのか、あるいは、法律と裁判を恐れるためなのか。・・・わたしには恥ずかしいことだ。(第1巻第19章)
法とすべての立派なことはそれ自体のために求めるべきだということになる。・・・代価や報酬を求めるものではけっしてない。(第1巻第18章)
2.感想
人間が何も決めなくても、この世界には客観的・絶対的な善があるという考えは、プラトンのイデア論につながるように思われます。キケロはプラトンを非常に尊敬しているようで、事実、著作の中でもプラトンにたびたび言及がなされます(それに比べると、アリストテレスへの言及はあまりなく、言及のされ方もプラトンの弟子の一人という扱いです。)。
なお、この自然法という考え、一見、現代には関係ないことのように思われます。しかし、例えば国際政治の場ではどうでしょう。シリアが化学兵器を使用したとの疑惑に対し、アメリカは武力攻撃を実施しました。あるいは、各国における人権侵害も(たとえその国内では合法であっても)国際社会の批判にさらされることがあります。
基本的人権、あるいは人道に対する罪というのは、ある意味ではキケロの言う自然法として捉えられているといえ、たとえ明文化されていなくても、各国が遵守すべきだとの意見は(特に欧米諸国に)少なからず存在するように思えます。