On the Shoulders of Giants

政治思想史の古典紹介

カール・シュミット:議会主義と民主主義の非整合性

Carl Schmitt, Die geistesgeschichtliche Lage des heutigen Parlamentarismus, 1923.

"Der Gegensatz von Parlarmentarismus und moderner Massendemokratie," 1926.

 

今回は、岩波文庫から出ているカール・シュミット『現代議会主義の精神史的状況』(1923)他1篇のご紹介です。シュミットは、20世紀初頭ドイツの政治思想家で、後にナチスに入党し、ナチスのお抱え学者となります。
ナチスと聞くと危険思想のようにも思えますが、シュミットの議会と民主主義の関係に関する考察は今読んでもとても示唆に富むものであり、だからこそ今でも読み継がれているのだと思います。
今回ご紹介する作品において、シュミットは民主主義と議会主義が異なる原理の上に成り立っており、容易には両立困難なものだと主張しています。
なお、本稿の引用は岩波文庫版・樋口陽一訳によります。また、引用個所として両論文を区別しておりません。

 

 

1.民主主義の定義とその欠陥

まず、民主主義とは何でしょうか。シュミットによれば、民主主義とは、政策を決定する主体と、その政策の影響を受ける客体が同じとなる体制です。自分たちのことは自分たちで決める体制、といえば、もう少し分かりやすいでしょうか。シュミット自身は以下のように述べています。

下された決定は決定する者自身にとってのみ妥当する、ということが民主主義の本質に属する。(p.21)


これは至極まっとうな定義ですね。そして、自分たちのことは自分たちで決める、というのは直観的にはいいことだと思えます。
しかし、シュミットはさらに進んで、民主主義の矛盾に迫っていきます。民主主義において採用される多数決というものの弊害について次のように述べます。

多数決によって敗れた少数派が無視されなければならぬ、ということは、理論上かつ外見上のみ困難をひきおこすにすぎない。(p.21)


多数決で採用されなかった少数意見は無視してかまわないのだ、と述べているのです。おそらく、これはシュミットの本心ではないでしょう。しかし、民主主義の理論を突き詰めていくと、少数派を無視しても構わない、という結論になるよ、と述べているのです。なぜでしょうか。
シュミットは、民主主義における重要な概念として、「一般意思」という概念を持ち出します。もちろん、これは元々ルソーが述べた概念です。

民主主義において、市民は、その意思に反する法律にも同意する。というのは、法律は一般意思(volonté générale)であり、結局は自由な市民の意思なのだから。(p.21)


ちょっと哲学的になってきましたね。まず、一般意思からおさらいしましょう。一般意志とは、一言でいえば共同体全体の意思です。ただし、共同体個々人の意思を集めたものではありません。それぞれの利害の総計ではなく、個々人の利害を超えて共同体全体の利益を優先する意思が一般意思なのです(詳しくは下記リンク参照)。

民主主義において制定される法律は多数決によって決められますが、多数決によって多数を得た結果というのは、この一般意思を体現しているのだとシュミットは述べます。なぜなら、民主主義における投票においては、個々人は自分の好きな政策に賛成、嫌いな政策に反対をするのではなく、みながみな、国にとって最善の選択肢は何なのか、ということを考えながら投票するからです。つまり、自らの利益に基づいて投票するのではなく、一般意思にかなっているものなのかどうか、ということを認定しているのです。シュミットの言葉で言うと以下のとおりです。

市民は、本来、具体的内容に同意を与えるのではなくて、抽象的に、結果に対し、すなわち投票から生ずる一般意思に対して同意を与えるのである。…(中略)…その結果がある個人の投票の内容からずれるときは、敗れた者は、自分が一般意思の内容について誤認したのだと知るのである。(pp.21-22)


投票で少数派となった者は、自分の利益が叶わなかったのではなく、全体の利益にとって何が最善か、という選択肢を見誤ったのだというのです。なぜなら、個々人は自分の利益に基づいて投票をしているのではなく、一般意思に適っているか否かを投票しているだけなのですから。


それでは、シュミットは本当にこのようなユートピア、つまり、共同体の構成員はみな全体の利益を常に考えて投票し、少数として敗れた者は自らの誤りに気付くのみという状態を信じていたのでしょうか。どうもそうではなさそうです。シュミットは次のように述べます。

少数者は国民の真の意思をもちうるし、国民は誤ることがありうるという、国民意思の理論のきわめて古くからの逆説は、今なお解決されていない。(p.24)


少数者の方が正しいこともありうる。つまり、投票で多数を得た結論が必ずしも正しいわけではない、という民主主義の弱点を指摘しているわけです。
シュミットが指摘するのはそれだけではありません。シュミットによれば、民主主義は一つの幻想に基づいている体制とされます。その幻想とは、「同一性」です。
「同一性」とは何でしょうか。この文章の最初に、シュミットによる民主主義の定義について述べました。政策を決定する主体と、その政策の影響を受ける客体が同じということでしたね。このように政策を決定する主体と、その政策の影響を受ける客体というのが、まず同一です。さらに詳しく言うと、民主主義体制下では、政府と国民(の意思)は同じもの、議会と国民の意思も同じもの、国民全体と実際に投票権を行使する国民も同じもの、国民によって選ばれた代表が作った法律は国民の意思と同じもの、国民の投票結果は国民全体の意思と同じもの、などなど、あらゆるものが「同一」であるのだとされます。シュミット自身の言葉では次のように述べられます。

論理的にはすべての民主主義の論拠が一連の同一性のうえにもとづいているという根本思想…。この一連の同一性には、治者と被治者との、支配者と被支配者との同一性、国家の権威の主体と客体との同一性、国民と議会における国民代表との同一性、国家とその時々に投票する国民との同一性、国家と法律との同一性、最後に、量的なるもの(数量的な多数、または全員一致)と質的なるもの(法律の正しさ)との同一性、である。しかし、…それは、法的にも政治的にも社会学的にも、現実に等しいものではなくて、同一化なのである。(p.23)


このように民主主義は様々なものが同一であることに基づいて成立しているのだとされます。しかし、上記引用の最後に重要なことが述べられていますね。「それは、法的にも政治的にも社会学的にも、現実に等しいものではなくて、同一化なのである」。つまり、実際には同じではないものを、同じものだと仮定して成り立っているのだということです。


国民の代表と国民は同じではない。それはもちろんそうですが、シュミットは重箱の隅をつつくような話をしているのではありません。
例えば、近代急進民主主義者は、自分たちこそが真の国民の代表であり、自分たちと異なる考えの者は民主主義を害するものとして排除しようとします。このような排除の動きこそ、非民主主義的であるとシュミットは非難します(p.24)。また、民主主義教育も、現在の支配者が国民を教育して国民の意思をコントロールするものであり、これは独裁にほかならないとします(pp.26-27)。


このように、シュミットは民主主義の欠陥を様々挙げるのですが、かいつまんでいえば、民主主義の本質は「同一性」あるいは「同質性」であり、そこに様々な矛盾がはらんでいるというのが、シュミットの主張です。

 

2.議会主義は民主主義ではない

それでは、議会主義とは何でしょうか。
現代社会に住む我々は、議会が国民を代表する機関であり、まさに民主主義のための重要な機関だと考えます。
しかし、シュミットによれば、議会と民主主義は本質的に別のものだと主張します。

議会についておよそ何世紀にもわたって繰り返されたいちばん古い正当化は、外面的な「便宜性」の顧慮のなかにある。曰く、本来は国民は自分たち全体で実際に決定しなければならないのかもしれない、…しかし、今日では、すべての人が同じ時に同じ場所に集まることは、実際的な理由からして不可能であり、すべての人があらゆる詳細について質問することも不可能である、それゆえに、人びとは…信任をえた人びとからなる選挙された委員会をつくって、その困難に対処する、それがまさしく議会である、と。…すなわち、議会は国民の委員会であり、政府は議会の委員会だとされる。…しかしながら…議会が国民の委員会であり、信任を受けた人々の合議体であるということは、本質的なことではない。(pp.34-35)


国民全員で決定する直接民主制が最善だけれども、現代社会ではそれは困難なので、間接民主制が採用されるのだという思想。これは議会の存在理由の本質ではない、とシュミットは述べているわけです。


先ほど、民主主義の本質は「同質性」だと述べました。これに対し、シュミットは、議会主義において重要なのは対立であると述べ、民主主義の本質とは異なることを示唆します。

議会の存在理由は、…正しい国家意思を結果として生み出すような対立と意見の討論過程のなかにある。…その際には、さしあたって民主主義が想起されることを必要としない。(p.35)


民主主義とは異なるということはなんとなく分かりますが、「対立と意見の討論過程」とはどういうことなのでしょうか。

 

3.自由主義

そもそも、シュミットは、議会主義が民主主義とは異なる系譜に属するとします。シュミットによれば、「民主主義」と並び立つ概念として、「自由主義」という概念があり、議会主義は民主主義ではなく、自由主義に属するのだとします。

議会主義への信念、討論による統治(government by discussion)への信念は、自由主義の思想界に属する。それは民主主義に属するのではない。(p.139)


では自由主義とは何か。ここはいまいちシュミットの意図が見えづらいのですが、おそらく、シュミットにとって自由主義とは、競争を通じて調和を作りだす体系と捉えられているのではないかと考えられます。例えば、資本主義的な契約自由が神の見えざる手によって社会的厚生を最大化するという考えがありますが、これも「普遍的な自由の原理のひとつの適用事例にすぎない」(p.37)とされます。同じように、自由な意見市場を通じて真理に近づくということも自由主義の一つです。

意見の自由な闘争から真理が、競争からおのずとあらわれる調和として生ずる(p.37)


さらに、シュミットは、このような、自由主義に必要なこととして、政治生活の公開性と権力分立論を挙げます。

自由主義的合理主義にとって特徴的な二つの政治的要求…その二つの要求とは、政治生活の公開性の要請といわゆる権力分立理論である。(p.38)


あまり細かく説明がないのですが、当然公開されていなければ、意見の競争が判定されません。また、権力が分立されておらず一つに統合されていれば、そもそも競争が生じません。競争によって均衡に達することを目指す自由主義体制において、公正な競争を確保するための公開性と権力分立が必要だということなのです。
そして、シュミットによれば、これらは「民主主義的な同一性の観念に対する反対物」(p.39)であり、民主主義と自由主義は簡単には組み合わせることができないとされます。

 

4.議会主義

それでは、上記のような自由主義の系譜に位置する議会主義には、どのような特徴があるのでしょうか。シュミットは、「討論と公開性を、議会という制度がその精神的基礎をおく原理」(p.125)とします。
自由主義の原理は公開性と権力分立でしたが、議会主義になると権力分立が討論に置き換わっています。ここについて、シュミットは以下のような説明をしています。

議会は、均衡の一部門であるだけではなくて、まさしくそれが立法権であるがために、自分自身の内部でも均衡がとられるべきものなのである。…立法権自身がさらに二院制のかたちで、あるいは連邦制度によって均衡づけられ仲介されることによって。しかし、それぞれの院の内部においても、特別の合理主義によって、観点や意見の均衡が機能させられる。反対党の存在は議会及び各院の本質に属し…。(pp.45-46)


すなわち、自由主義の原理では、分立した諸権力がそれぞれ競争することが重要ですが、その中の議会においては、議会の内部でもやはり競争が働くことが重要なのです。そして、議会内部の競争というのは、言わずもがな、討論ということになります。

議会は、そこで人が審議をし、言いかえれば、討論の過程のなかで議論と反論との検討により相対的な真理を獲得する場所である。国家にとって複数の権力が必要であると同様に、およそ議会という集団にとっては複数の党派が必要である。(p.55)

 

5.立法

このような議会によって得られる真理は、具体的には法律という形になるのですが、では法律とはどういうものなのか。シュミットは、議会が定める法律と行政における命令とを区別し、法律とは一般的なもの、命令とはより個別的なものとします。すなわち、法律はあらゆる時期にあらゆる人に対して平等に効力を有するものですが、命令とは特定の時期に特定の対象にだけ効力を有するということです。

法治国家の全理論は、一般的な、あらかじめ設定され、万人を拘束し、例外なくかつ原則的にすべての時期に妥当する法律と、場合場合に特殊の具体的事態を顧慮して発せられる人格的な命令との対置にもとづいている。(p.48)


そして、一般的な法律の方が命令に優越します。というのは、一般的なものであれば、個人的な思惑が入る余地が少ないからです。

法律は(具体的人格の意思や命令とは反対に)…欲望(cupiditas)も困惑(turbatio)も持たないということから、法律の一般的な規準性が生ずる。(p.48)


このように、議会という公開の討論の場で真理を競って勝ち残ったものが法律になる、この法律は一般性をもって個々人の利害を超越した公平なものとなる、というのがシュミットの考える議会主義ということになります。

 

6.討論と議会主義の危機

なお、シュミットは討論に特別な意味を見いだしていました。討論とは、単なる議論ではなく、お互いに説得し合う行為であり、それによって真理に至るような行為なのだとします。

「討論」は特別の意味をもち、単純に商議を意味するのではない。…討論とは、合理的な議論でもって相手に真理と正しさを説得し、さもなければ真理と正しさを自分が説得されるという目的によって支配されるような、意見の交換を意味する。(pp.131-132)


これまでも縷々述べたように、自由主義、議会主義とは意見の競争によって真理に到達するプロセスなのですから、その中における討論が真理をめぐる相互の説得だというのはもっともなことだと思います。
しかし、シュミットは自身と同時代の議会ではもはや討論が行われていないとします。シュミットによれば、議会で行なわれているのは、非公開の場での政党同士の交渉であり、それゆえに議会主義は危機に陥っているとするのです。

政党…は、今日ではもはや討論する意見としてではなく、社会的あるいは経済的な勢力集団として対抗しあい、おたがいの利害と権力可能性を計算し、そのような事実的な基礎のうえに妥協と提携をとりむすぶ。(p.134)

 

7.まとめ

以上のように、シュミットは民主主義の原理を同質性、自由主義ないし議会主義の原理を異質制とした上で、議会は異質なもの同士の討論によって真理に近づくものだとしました。しかし、時代が下るにつれ、同質性の幻想が崩れて民主主義の矛盾が露呈してくるとともに、公開の討論が密室での交渉に変容して議会主義もまた危機に陥ったとするのです。
シュミットの考察から既に100年弱が経ったものの、幸い民主主義も議会主義もまだその重要性を失ってはいません。しかし、シュミットの指摘したそれぞれの弱点については、現代においてもなお当てはまるのではないでしょうか。

J.S.ミル『代議制統治論』:議会の役割は監視・統制

John Stuart Mill, Considerations on Representative Government, 1861

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こんにちは。今日は、J.S.ミルの『代議制統治論』の概要をご紹介します。
ミルは、国民の徳や知性の向上を図るという観点から、国民が政治に関わる代議制民主体制こそが最善の政治体制と考えました。この代議制において、国民の代表による議会が、行政に直接関与するのではなく、行政を監督する立場に徹するべきであるとの主張は、現代においてもたびたび参照される重要な指摘です。
この記事では、2019年に刊行されたばかりの新訳、関口正司訳(岩波書店)に準拠してご紹介します。

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