On the Shoulders of Giants

古典読書で一般教養を学び直し

キケロ『国家について』

キケロ『国家について』(『キケロー選集8』岡道夫訳、岩波書店)を読みました。

1.キケロって?

キケロ(紀元前106年~紀元前43年)は、古代ローマにおいて活躍した政治家であり、哲学者でもあります。政治家としては、最高の行政官である執政官(共和制ローマの平時では最高の行政官。任期は1年で、2人で国政を担った。)をも務め、弁論の達人であったとも評されます。


訳者岡道夫氏の解説によれば、キケロが『国家について』を執筆した紀元前50年代後半は、ユリウス・カエサルが政敵ポンペイウスと争い、国論が二分された時代でした。キケロは、同様に国論が二分されていた紀元前129年に舞台を設定し、尊敬する政治家小スキピオによる対話篇として『国家について』を記述しました。これはプラトンが師ソクラテスを主人公として記述した対話篇『国家』を想起させるものです。


2.キケロの思想ーー混合政体 

『国家について』で、キケロは、国家が支配者の数によって、王政、貴族政、民主政の3つの形態に分けられると述べます。このあたりはアリストテレスの分類に似ています。

国政の全権が一人の者にあるとき、わたしたちはその一人の者を王と呼び、その国家の政体を王政と名づける。それが選ばれた市民にあるとき、その国は貴族の裁量によって治められると言われる。しかし、国民に全権がある国は、民主国である。(第1巻第26章)


キケロは、この中で1つ選ぶとすれば王制が最も優れていると述べます。キケロは、たくさんの使用人がいるとき、誰か1人を責任者とし、他の使用人はその1人の責任者に従うようにさせるのが最も効率的である、という例を挙げた上で、国家においても、命令権は一人に集中されている方が最も効率的であると述べます。

もし単一のものを一つ選ぶなら、わたしは王政を是認するだろう(第1巻第35章)

国家においても同様に一人の者による支配が、公正であるかぎり、最善であることをなぜあなたは認めないのですか。(第1巻第39章)


しかし、最善の王政といえども、国王が不正に転じることがあるといいます。キケロはローマの第7代目の王であったタルクイニウス王が国民に圧政を敷いた例をあげながら、不正な国王が僭主になる危険性を指摘します。

一人の者の意志あるいは性格にかかっている国民の運命は脆いのである。(第2巻第28章)


このような危険性は王政に限らず、貴族政、民主政においても、支配者が悪に転じる危険性があると述べます。そして、このような悪政に転じない安定性をもった最善の国家とは、王政、貴族政、民主政を混ぜ合わせた形態だと述べるのです。

わたしは最初に述べたこれら三つのものから適度に混ぜ合わされた、いわゆる第四の種類の国家がもっとも是認すべき政体だと考える。(第1巻第29章)


3.ローマの歴史

このような混合政体の重要性についてキケロはローマ建国の歴史をたどりながら説明を試みます。


ローマを建国した初代ロムルス王は、国王として国家を統率しつつ、他方で卓越した人々=長老たちを集めた審議会の権威を重んじながら治世を行いました。この審議会は後に元老院と呼ばれるようになります。

これを定めたときはじめて彼(ロムルス)は、・・・国は卓越した各人の権威が王の絶対的権力に加味されるなら、一人の支配、つまり王権によっていっそう正しく導かれ治められることを発見し、これがよいと判断した。(第2巻第9章)


ロムルス王の死後、国民は王を求め、隣国で徳が高いと評判のあったヌマ・ポンピリウスを王として招きます。ヌマは就任にあたり、まず次のようなことを行いました。

彼(ヌマ)はここへ来たとき、国民が彼をクーリア民会において王に任命していたにもかかわらず、みずから自己の命令権についてクーリア民会で承認されるべき法律を提出した。(第2巻第14章)


ヌマ王は、国民から請われて来ているにもかかわらず、自らが王として発する命令の根拠を国民に求めたのです。これがローマ国王就任の際の慣例となっていきます。


時代は下り、第7代タルクイニウス・スペルブス王は圧政を行います。彼はそのために追放され、ローマの王制は廃止されます。その後、最初の執政官に任じられたプブリウス・ウァレリウス・プブリコラは、死刑等の判決を受けた際に、民会への上訴を可能とする法律を制定するなど、国民の自由を拡大したとされます。

こうして元老院は、その時代において国家を次の状態に保った。すなわち、自由な国民のもとにおいてわずかの事柄が国民によって、ほとんどが元老院の権威と制度と慣習によって実行された。また執政官は、期間では一年間限りの、しかしその性格および権利自体において王のごとき権限をもった。・・・しかしすべては、国民の同意により、指導者たちの最高の権威のもとに置かれた。(第2巻第32章)

権利と義務と任務の等しい釣合いが国に存在し、こうして十分な権限が政務官たちに、十分な権威が指導者たちの審議に、十分な自由が国民にあるのでなければ、国家のこの政体は不変に保つことができないのである。(第2巻第33章)


このように、キケロは、執政官、元老院、民会の3つが組み合わさったローマの政治形態が最善のものであると結論づけます。

 

4.感想

キケロによる国政の分類(王制、貴族制、民主制とそれぞれの堕落した形態)は明らかにアリストテレスの影響を受けていますし、本文中ではプラトンへの言及もしばしば見られます。キケロはプラトンやアリストテレスといったギリシャ政治学の理論を受け継ぎつつも、自らの政治家としての経験や自国の歴史も踏まえた上で自らの思想を展開しており、まさに理論と実践を統合した人物と言えます。