On the Shoulders of Giants

古典読書で一般教養を学び直し

プラトン『国家』における政治思想

プラトンの『国家』は、多数あるプラトン著作の中でも非常に長く、内容的にみても重要とされ、プラトンの主著中の主著(藤沢令夫氏)とされています。舞台は紀元前375年頃(推定)、筆者プラトンの師であるソクラテスが友人たちとの議論を通じて、正義について思索を深めていくという内容です。

ん!?  正義!?  『国家』というタイトルがついてるのに、議論のきっかけは、政治思想ではなくて倫理学なんです。実は『国家』の主題は、国家についてなのか、それとも正義についてなのか、ということは既に古代ローマ時代には議論されていたようです。さらに、それだけではなく、この本には認識論(イデア論)や教育論など非常に多岐にわたる分野の議論が展開されます。

その全てについて簡単な感想なりとも述べるのは私にはとても手に負えそうにないので、今回は政治思想に関する部分について私なりの概要をまとめてみたいと思います。

 

1.法律の起源

まず冒頭の場面において、ソクラテスが正義や国家について本格的な思索を始める前に、グラウコンという人物がソクラテスに対し面白いことを語ります。

グラウコンは、お互いの不正を防ぐ手段が正義であり、それに基づいて生まれたのが法律であると述べます。彼によれば、他人に不正をなすほうが、他人に正義を貫くよりも得られる利益が大きいとされます。しかし、他人から不正を受けた場合、それ以上に大きな損害を被ってしまいます。常に他人に対し優位に立てる人間は別ですが、普通の人の場合、不正を加えたり加えられたりの繰り返しとなるよりは、お互いに不正を加えることを差し控えるほうが最終的には有利になります。そこで、不正をなくすよう人々がお互いに契約を結んだのが法律の始まりであるというのです。

この部分、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」という考えとも通じるのではないかと思いました。紀元前のギリシャで既にこのような高度な思索が行われていたのには驚きを禁じ得ません。

ちなみにグラウコンはプラトンの実の兄なのですが、グラウコンに託してプラトンは当時世間で考えられていた思想を述べたと考えられます。しかし、プラトン自身は不正のほうが利益になるという考えに賛同できず、この考えは論駁されていきます。

 

2.国家の成立と分業

プラトンは(登場人物のソクラテスに託して。以下同じ。)国家の成り立ちから思索を始めます。プラトンによれば、そもそも国家がなぜ必要となるかといえば、それは一人ひとりの人間では自給自足ができないからです。つまり、分業による効率化こそが国家成立の起源ということです。

分業によってなぜ効率化するのか。現代の我々からすれば、それぞれの仕事に専念できるからと考えるのが自然なように思われます。プラトンもその点については認めています。しかし、プラトンにとっては、一人ひとりの素質の違いということの方が、分業の理由としてより大きな問題と捉えられます。

プラトンによれば、人は、農業に向いている人、大工に向いている人、織物工に向いている人など、それぞれに向き不向きがあるとし、それぞれが向いている仕事をすることこそが重要と考えました。

分業のために誕生した国家は、当初は衣食住に必要な最低限のものしか生産しません。しかし、人々の欲求に応じ、やがて贅沢品なども必要となってくると、その生産のために国家の領土・勢力を拡大する必要が生じてきます。国家が大きくなれば、他の国家との間に戦争が起こります。すると軍人が必要となります。

当時のギリシャでは、戦時には市民全員が武装して戦地に赴くこととされていましたが、プラトンは軍人こそ素質のある人が務めなければならないと主張します。そして、軍人や支配者を守護者と呼び、これら守護者にとって必要な生まれつきの素質や、彼らに対する若年期の教育方法を説きます。そのような素質を持ち、教育を受けた者の中から、節目節目に厳しい基準でさらに選別が行われ、国家の守護者となるべきものが選ばれると述べます。

 

3.素質と金・銀・銅・鉄の物語

この守護者は他のどの職業よりも重要であり、国家の中でも最も優秀なものが就かなければならないとされるのですが、プラトンはこの思想を国民に浸透させるために次のようなフィクションの物語を語ります。

人が生まれ、教育を受けて成長していく過程で、神は、ある者には金を、ある者には銀を、ある者には銅や鉄を混ぜ合わせて、それぞれの人を形作っていくという物語です。金が混ぜ合わされた者は守護者に、銀が混ぜ合わされた者は守護者を補助する補助者に、銅や鉄が混ぜ合わされた者は農夫や職人になる能力をそれぞれが持つこととなります。

素質によって就くべき職業が決まってしまうというのは、現代からみれば差別的な考え方にも思えますが、この時代の考えからするとある程度は仕方ないのかもしれません。ただ、素質が家系によって決められるのではないというところは着目すべき点だと思います。つまり、金の親から生まれるのは必ずしも金の子どもとは限らないし、鉄や銅の親から金の子どもが生まれることもあるとされるのです。

そして、それぞれの階層の国民が、他の階層へ介入することなく、それぞれ与えられた仕事をこなすことこそが正義だとプラトンは述べます。金の人間が順当に国家を支配するのであればよいのですが、銅・鉄の人間が支配者の地位に就く時、その国家は滅びるとされます。 

 

4.私有財産の禁止

このようにして、しかるべき人物が守護者となるのが理想的な国家だと規定されます。しかし、国民を守るはずの守護者が国民に牙を向けるようなことがあってはいけません。そのために、プラトンは守護者たちに厳しい条件を課します。

なんと、支配者は私有財産を禁止されるのです。彼らの住居は国民に公開されていつでも誰でも立入れるようにしなければならず、給与は暮らしの糧に過不足ない分だけをもらい、食事は共同食事をとることとされました。

プラトンはさらに大胆な思想を展開します。プラトンは、国民全体で苦楽を共有することが、国家を一つにまとめるために重要だと説きます。ところで、人々の苦楽の最たるものは家族です。そこで、プラトンは、守護者たちの間で妻子を共有するという大胆な提案を行います。生まれた子どもはすぐに親から引き離され、どの子どもが誰の子かは分からなくなります。そうすることで、同じ年代の子たちはみな兄弟、年の離れた者は自分の親または子どもであるように感じることとなり、苦楽が共有されることになるというのです。しかも、劣った子や障害児は秘密裏のうちに捨てられ、優秀な子だけが育てられるとさえ述べられます。

こんな生活で守護者は果たして満足できるのでしょうか。まさにその質問を登場人物であるアデイマントスが尋ねます。これに対しプラトンは、支配者だけを幸福にする必要はなく、全体を幸福にすることこそが重要であると主張します。また、守護者たちも、国家を守るという栄誉を受けるのだから、決して不幸でもないのだと述べます。

 

5.哲人統治

以上のようなことを述べた後、プラトンは哲人統治について述べます。まさにプラトン政治思想のクライマックスです。

哲学者が国の統治者となるか、あるいは国の統治者が哲学を学ぶかのいずれかを実現すべき、というごく単純なものですが、その理論的根拠の説明にプラトンは労力を重ねます。

当時(今も?)、哲学者に対する世間の偏見は強く、浮世離れした哲学者が国の統治に関わるなんてとんでもないとの風潮があったようです。訳者、藤沢氏の解説によれば、この説明のために必要となった考え方こそが、イデア論とされます。

イデア論とは、この世には恒常不変のもの(イデア)があり、哲学を通じてのみそれに触れることができるのだ、という考え方です。例えば、美しいものには善のイデアが、善いものには善のイデアが存在するとされます。何が美しいかは、人々の評価によるのではなく、美のイデアという客観的なものによるものであり、美のイデアを認識できるか否かで、何が美しいか判断できるということです。

このようにして、善のイデアを認識できる人物こそが哲学者であり、そのような人物こそ、法律を作ったり国家を守護するのに最も適しているというのがプラトンの考えです。

プラトンはこのことをより深く説明するために、有名な洞窟の比喩について述べます。プラトンによれば、この世の人間は洞窟の奥深くで手足を縛られた人々に似ているとされます。これらの人々は洞窟の奥を向いていて、別の方向に向き直すこともできません。時折、彼らの後ろでいろんな物が運ばれるのですが、彼らはその物が壁面に映しだす影しか見ることができません。生まれつきそうして育ってきた彼らにとっては、その影こそが真理だと信じきっています。

ある時、彼らの内の一人が縛を解かれ、洞窟の外に連れて行かれます。洞窟の薄暗がりしか経験したことのない彼にとって、太陽の光は痛みを伴うほど眩しく、苦痛以外のなにものでもありません。しかし、次第に目が慣れてくるにつれ、彼は、これまで見てきた影ではなく、物そのものの姿(イデア)こそが真実だと悟ります。

このようにして真実を知った者は、また元の洞窟に戻って仲間たちに世界の真の姿を伝える必要があるとプラトンは説きます。太陽の下に広がる美しい世界を知った者が、元の暗い洞窟に戻るのは、これまた苦痛でしょう。しかし、自分を太陽の元に届けてくれたものこそ、プラトンが建設した理想国家における教育なのであり、その恩恵を受けて哲学者となった者は、その能力を国家に還元する必要があるのです。

こうして、子どもの頃から厳しい教育と選抜を受けた守護者たちは、交代で政務につき、そうでない時は哲学をして過ごすというのが、プラトンの考える哲人統治下の国家なのです。

 

6.それ以外の国制

プラトンはこうしてできた国家を、優秀者支配制とも呼びました。また、世界には、この優秀者支配制の他にも、名誉支配制、寡頭制、民主制、僭主独裁制という4つの形態の国制があると述べます。

優秀者支配制は一点の曇りもない理想的な国家なのですが、宇宙の周期の乱れにより、やがてなんらかの形でほころびが生じます。

やがて人々は哲学を尊重することがなくなり、知恵よりも軍人的な名誉を重んじるようになると、哲学者に代わって軍人が支配者層につくこととなります。これが名誉支配制です。ただし、支配者層や重んじられる価値観が変わっただけで、支配者の私有財産禁止など、大きな枠組みは優秀者支配制と共通しています。

名誉支配制が腐敗してくると、今度は財産を持った者が台頭してきます。これが寡頭制です。プラトンの言う寡頭制とは、支配者が少ないという意味ではなく、財産家による支配ということを意味しています。この国制では金儲けが重要な価値観とされ、国の枠組みも当初からは大きく変わっています。

寡頭制では、能力がなくても財産があれば支配者の地位につくことができます。他方、富者と貧者の利害は対立し、多数の貧しい民衆の不満が蓄積されていきます。ここで民衆が力をつけていくことで、寡頭制はやがて民主制に移行することとなります。

民主制では自由が重んじられ、人々の生活は多種多様となっていきます。プラトン自身、「この国制を最も美しい国制であると判定する人々も、さぞ多いことだろう」と認めます。しかし、プラトンによれば、この国制下では国民の魂が敏感になり、ちょっとしたことにすぐ腹を立てるようになってしまいます。異なる意見の者は批判し、自分たちを守ってくれる者に人気が集まります。そうして、やがて僭主と呼ばれる民衆指導者が民衆を巧みに騙し、権力を握ってしまいます。これが僭主独裁制です。

僭主独裁制では、国民は隷属させられますが、実は僭主自身も隷属の地位に置かれることとなります。僭主は国民の人気に基づいて権力を得ているので、国民の支持を失ってしまえば、支配者の地位を追われ、財産や生命さえも奪われかねません。そのような状況下では、僭主は常に国民に媚びへつらわなければならないのです。

以上から、プラトンの国制の分類は、重んじる価値観が、知恵、名誉、財産、自由、隷属によって分類されるものであり、この順番に堕落していくということを示したものなのです。

 

7.感想

プラトンの言いたいことを私なりに解釈すると、要は真実を把握できる人間が統治に当たるべきだ、ということだと思います。そして、真実は目に見えないものであり、人間には哲学という方法を用いて推し量るしかないのです。

これは、現代においても真理なのではないかと思います。例えば、経済の動きというのは、物理的な意味において、目に見えるものではありませんが、統計データや経済理論によって、現状を把握し、将来を見通すことができます。このように、学問の力によって、目に見えない真理を知ることこそが重要であるとプラトンは言いたかったのではないかと思います。