プラトン『国家』第2巻(前半)

プラトン『国家』第1巻では、正義とは何かについての議論でトラシュマコスを言い負かした(つもりの)ソクラテスですが、周りは彼をほってはくれませんでした。第2巻では、グラウコンとアデイマントスという2人の人物が、お前の議論は不十分だと言わんばかりに割って入る、というところから始まります。

 

注:前回もそうですが、下記にて「」で区切ってある部分は引用ではなく、私が主観的に要約したものです。

 

1.正義の起源(グラウコンの主張)

まずグラウコンが、ソクラテスにふっかけます。彼はこう主張します。「正義っていうのは、周りの評判とか名声のために仕方なくやらなきゃいけないもので、本当はみんなやりたくないんだよ」と。 

 

彼はさらに続けます。「そもそも、実際には、他人に対して不正を働いた方が、利益を得ることができる。しかし、逆に他人から不正なことをされると、損をしてしまう。だから、他人に対し不正を行わない代わりに、他人からも不正を受けないよう、お互いに契約を交わすようになった。これが法律であり、法律で決められた内容が正義なんだ。」

 

グラウコンのこの発言、まさに近世以降の社会契約論に通じるものがあるように感じます。17世紀の政治思想家トマス・ホッブズは、社会が存在しない状態では「万人の万人に対する闘争」が起こるため、人々は国家を作り、無差別な殺し合いが起きないようにしたと主張しました。

 

これと同じような考えが、ホッブズよりも2000年も前に考えられていたなんて、プラトン恐るべしです。(ちなみにプラトン『国家』は紀元前375年頃に書かれたと考えられているそうです。)

  

2.重要なのは周りからの評価(アデイマントスの主張 )

次にアデイマントスが加わります。彼は、正義そのものが重要なのではなく、周りや神々から正義の人と評価されることこそが重要なのではないかと主張します。

 

彼はこう主張します。「たとえ正義に従って生きていたとしても、周りから誤解されれば、ひどい仕打ちにもあう。他方、心の中身は悪者であっても、周りから正義の人だと思われていれば、地位や名誉を得ることができる。さらに言えば、本当は悪者であっても、神々にだって正義の人だと思われさえすれば、天国にも行けるんだ」と。

 

3.ソクラテスの反論

グラウコンとアデイマントスの議論は非常に強力で、ソクラテスも困り果ててしまいます。そして、考えあぐねた末、このように提案します。

 

「君らの議論にはすぐには反論できない。そこで、個人の正義について考える前に、国家の正義について考えみないか?ほら、小さいものより大きいものの方が遠くからでもよく見えるだろ?個人より国家の方が大きいから、国家の正義の方が分かりやすいはずだよ。」

 

なんだかよく分からない提案ですが、グラウコンもアデイマントスも同意して話が進んでいきます。こうして、かなり無理やりな展開ですが、ようやくタイトルどおり国家についての議論が始まります。

 

そしてここからは、正しい国家とは何か、という話題に入っていきます。

 

4.第1巻との違い

ちなみに、第2巻は第1巻とやや雰囲気が変わってきます。第1巻ではトラシュマコスが言いくるめられつつも納得せずにイライラする反応など、議論のやりとりが非常にリアルに描かれていました。


しかし、第2巻では、グラウコン、アデイマントスとも、合いの手を入れる暇もなく、それぞれ自論を延々と述べます。


このあとソクラテスが話す番になるのですが、今度は聞き役に回ったアデイマントスはひたすらソクラテスの言うことに「おっしゃるとおり」、「たしかに」、「なるほどそのとおり」など、ほとんどイエスマンと化してしまいます。


専門家がどう解釈しているか知りませんが、もしかしたら、第1巻は事実に基づく話、第2巻からはプラトンの想像に基づく話なのかもしれません。

 

第2巻はまだまだ続きますが今日はこんなところまで。