On the Shoulders of Giants

古典読書で一般教養を学び直し

歴史を学ぶ意味

歴史を学ぶ意味

  なぜ歴史を学ぶ必要があるのか。疑問に思ったことはないでしょうか。国語は文章を正しく読解するために必要ですし、海外の方とのコミュニケーションを取るための英語も重要です。数学や物理、化学なども現代科学の基礎となっており、大学で理系に進むためには不可欠でしょう。他方で、世界史や日本史は何のために学ぶのでしょうか。もう十数年前に調べた話をふと思い出し書きたくなったので、ご紹介いたします。

*なお、以下の話は十数年前に調べたことを基にしていますので、現在の状況とは必ずしも一致しないことを申し添えます。

 

大学教育における歴史学の扱い

  私が通ったのは総合大学でしたが、文系の学生の中で歴史を専門的に学んでいるのは、文学部の中の歴史系学科に属するほんの一部の学生だけでした。文系の学部というと、文学部の他にも法学部や経済学部など様々な学部があります。そう考えると、歴史を大学に入っても活用しているのは、文系学生の中でもごく限られた数ということになります。世界史は全国の高校生の必修科目であるにもかかわらずです。

  大学に入ってこれほど歴史の利用頻度が低いのであれば、高校生にはむしろ法学や経済学といった、社会に出て役に立つような科目を教養として教えた方がいいのではないか、という思いを抱きました(まさに「公民」という科目がそれに当たるのでしょうが、大学の入試に適さないのか、少なくとも私は高校時代に「公民」をしっかり勉強した記憶はありません)。

 

流れをすっ飛ばすフランスの歴史教育

  「学校で歴史を学ぶことが当然」との前提が崩れていった私は、外国で歴史がどのように教えられているかに興味を持ちました。その頃、フランスでは高校で哲学が教えられていることを知り、「それほど人文系教育にこだわる国では、歴史はどのように教えられているのだろう」と思い、特にフランスのことについて調べることにしました。

  フランスの多くの高校で使われているアシェット社の教科書をアマゾンで取り寄せ、フランスから届くのを心待ちにしていたことを覚えています。1か月ほどしてようやく届いた教科書を一目見た私は、あることに非常に驚きました。その教科書の第1部が古代ギリシャ時代から始まっていたのです。何がすごいか分かりますでしょうか。日本の歴史教科書とは全然違うのです。だって、日本の世界史の教科書はアウストラロピテクスから始まりますから(笑)。類人猿の進化を辿るのが歴史に含まれるかという疑問はさておいても、フランスの教科書は古代エジプトやメソポタミア文明をすっ飛ばしていたのです。

  さらに、日本人ならギリシャの次はローマが来ると想像するところ、その教科書の第2部は「キリスト教の誕生」、第3部に至ってはいきなり12世紀まで飛んでしまうのです。カエサルやカール大帝はヨーロッパの英雄ではなかったのかと。

  これは私にとって、大きなパラダイムシフトでした。高校時代、「歴史は前後の流れが重要」と教師に言われていましたが、フランスの歴史教科書の記述方法はこれに真っ向から矛盾していました。

 

現代と対比するための歴史

  フランスの教科書の第1部は、古代ギリシャ全体ではなく、アテネの民主政という狭い範囲に特化していました。内容としても、アテネにおいて奴隷、女性、外国人の参政権が否定されていたことが、非常に詳細に示されており、現代の民主主義と対比させ、現代社会をよりよく理解させようとの意図が明らかです。

  さらに、教科書においては、文章による事実の記述ではなく、多数の歴史的文献、グラフ、写真といった史料が大きなウェイトを占め、史料をいかに適切に読み込むかといった点も重視されていました。

  日本では、前の時代の事件や社会情勢が次の時代にどのような影響を与えるかという、歴史の因果関係が重視されます。一方、フランスの歴史教科書では、歴史は現代社会を見つめ直すための道具として考えられているのです。

 

まとめ

  高校で歴史を履修している生徒の内、将来、歴史研究者になるのはごく一握りです。そんな高校生にとっては、初めから終わりまで漫然と歴史の流れを追っていくのではなく、一般社会に出た際に有しておくべき教養や、大学進学後の専門課程を学ぶ上での土台となるような知識を集中して得ることこそ重要だと感じます。先史時代の洞窟の壁画や、未だ決着が見られない邪馬台国の場所など、趣味として追求するには興味深いテーマかもしれませんが、もう少し現代社会を知る上で必要な知識に焦点を当ててもいいのではないでしょうか。